index< 日誌 < c信じるもの19-65「異議申立て」


3、おきて。


そこに生きる者にとっては見れば、それ以外の生きて行く方法があり得ず、許されないということなのである。だからこれを「信じなければならない」のである。シキタリやオキテ、タブーや戒めといったものがそうである。もっと、現代的な用語でいうと、法律や常識、公序良俗といったものがそうなのである。

学歴と出自がその人の居場所と地位、そして収入源を決定している。そしてこれが社会のシステムであり、また序列であり、秩序である。オキテなのである。

それは、だれもが無言のうちに認めている、暗黙の了解事項であり、社会的合意の共有意識なのである。それは、どうにもならず、どうしようもなく、そのようにしかならないように出来ているのである。

そした意味で「信じる」というのは、自分にとって生死を分ける死活の問題なのであって、信じれるとか、信じることができるとか、信じても良いといったような、そうした本人の側からするような、自由な裁量や、自分勝手や、選り好みが許されるような、そんな世界ではないのである。

戻る。                  続く。

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