index< 日誌 < c信じるもの< 19-65「異議申立て」 |
それは例えば、農耕民にとっての水や太陽であり、あるいは親と子の関係がそうである。現代風に言えば、下請けと元請けのケイレツ関係がそうであり、そしてまた、世の中全体がそうなのである。 要するに、何が言いたいのかというと、こうした現実を「信じる」ということが出来なくなると、人間社会というのが破壊されてしまう、ということなのである。法律も、約束も、習俗も、習わしも、人間社会そのものが成り立たなくなる、ということなのである。 だから「信じなければならない」のである。たとえそれがウソでも、まやかしでも、あるいは誤解や悪意であろうとも、そんなことには関係なく、どうあってもそれだけは、何としても絶対的に「信じなければならない」ものなのである。 |