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人間は、自分たちが信じるもの、指向するところに従って生きている。それは持って生まれてきた「傾向」と言ってもよい。だから、それに反したり逸脱するような生き方を好まないし、出来ないのである。それは19世紀、ヨーロッパ列強に遭遇した東アジア社会がそうであった。そしていまも、心の奥底のどこかに、多少なりとも確かにあるものである。 戦争に負けた後、アメリカ(=ユダヤ資本)のおかげで、何でも自由にものが話せるようになり、物も比較にならないほど豊かになったのであるが、心の奥底のどこかで、白人とキリスト教に根深い不信感と共に、それ以上に憎しみと憎悪を抱き続けている。 もちろん、表立っては言わないが、根に持ち続けている。それは自分の存在理由を、ないがしろにするものと思えてくるからである。自分の祖先や、祖先の魂を辱めるものと思えてくるからである。自分が自分でなくなるように思えて来て、自分の存在とその理由を貶(おとし)めるもののように思えてくるからである。 だから、「自分たち」以外のものに対しての、激しい憤(いきどお)りと敵愾心が、ときおりあらわになるのである。 |