index< 日誌 < c信じるもの< 19-68「続、自分たち」p4 |
人間は、自分たちが信じるもの、指向するところに従って生きている。だから、それに反したり逸脱するような生き方を好まないし、出来ないのである。それは19世紀、ヨーロッパ列強に遭遇した東アジア社会がそうであった。そしていまも、心の奥底のどこかに、多少なりとも確かにあるものなのである。 こうしたことは、生き方や感じ方、さらには常識が違うのだというだけにとどまらない。要は、そうした「常識」の根底にある、自分が信じるもの、あるいは自分の心の拠り所になっていて、そこからまた、自分の存在や人間関係といったものを否定するものに、つながっているのである。 だからまた、それが自分の存在そのものを否定し、ないがしろにして、陥(おとしい)れ、辱めようとしているのに他ならない、という風に受け止められるのである。 |