index< 日誌 < c信じるもの< 19-71「常識」p3


3、理由。


人間は、自分の生活のパターンから離れた感覚というのを、持っていないのである。「常識」といったものがそうなのであって、私たちは、このような常識の世界を生きている。しかしまた、このような自分の生き方や、考え方や、生活のパターンといったもの、総じて、自分自身の現実を離れたところからでしか、本当の現実というのは見えて来ないのである。

そしてそうしたことは、通常、だれもしたがらないし、しないし、できないのである。なぜなら、それが自分の生き方、感じ方、考え方なのであって、自分自身の存在の理由、自分が生きて暮らしている意味となっているからである。

それが自分と「自分たち」の日常であり、感情や感覚、そして生きている楽しみや理由になっているからである。自分たちが生きている生活そのものとなっているからである。だから、それを否定することも、そこから離れることも出来ないのである。

だからまた、人間は、現実の外で生きることが出来ないのである。しかしまた、その現実の中から新たな異質な現実が生まれてくるというのも事実なのである。また、常識が常識でなくなるということも、当然のことのように、よく起こる現象なのである。ただ、だれもがそうした常識という、安全な囲いの中から外へ出ようとしないのである。そしてこれが、圧倒的多数の普通の人々なのである。

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