index< 日誌 < c信じるもの< 19-72「続々、自分たち」p6


1、見えない。


人間は、自分たちが信じるもの、そしてそれが指向するところに従って生きている。だからまた、そうでないものが、自分たちと違う異質なものが、どうしても必要なのである。そうして始めて、自分が自分であり得るのである。自分を信じれるようになるのである。

自分は他人と違う、自分は自分であると実感できるし、自分を確かめ、そして自分に納得できるようになるのである。そして、そうした他人とは、自分よりも下の弱い立場の者でなければならないのである。そうして始めて自分が有利で、優れた立場に立つことができるのである。

それは誰でもよい。ただ表面上、「自分たちでない者」でありさえすれば、だれでもよいのである。どこかに必ずいるはずであろうし、居るはずだし、いなければならない、そうしただれかである。だれでもよい、そうした「悪者」を探し出し、あぶり出し、あるいはそんなことにお構いなく、無理やりねつ造して、「みんな」でおとしいれて、襲いかかろうとするのである。

これは反面、「被害妄想」のように聞こえるかも知れないが、決してそうではなく、要は、だれもがそれを、当たり前の常識としてきたために、あまりに当然のこととして広く一般的に行われてきたことのために、それがおかしいとも、変だとも、どうしても思うことが出来ないでいる、ということなのである。そういうわけで、それが被害妄想のように聞こえてくるのである。

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