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そしてまた、そうであることによって、それが問答無用のオキテやタブーとなることができるのである。常識とは、このことなのである。疑問を抱いたり、考え込んだりしては常識にならないのである。 そうした大多数の人間にとっての、さしさわりのない、生まれながらの「悪者」が西洋人なのである。あるいは、それを内に向かって見ると、ザイニチであり、ブラクであり、私生児、障害者などといった、要するに「自分たち」でない者のことである。 そもそも、「自分たち」という考え方自体が、自分たちでない者の存在を前提にしたもので、それを必須の条件としているのである。そうである以上、「自分たち」は、そうでない者の存在がどうしても必要なのである。自分たちが、自分たちであり得るためには、そうするしかないのである。自分が自分であり得るためには、それ以外にないのである。 また、そうすることによってのみ、社会の主流派になれるし、それにすがって生きて行けるのである。自分のことを、自分で生きて行かなくても済むようになるのである。また、社会全体としても、就学にも就職にもありつけるように出来ているのである。つまり、これはシステムなのである。この世界のだれもが知っている無言の了解事項、制度とオキテなのである。 |