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地理的・自然的条件に恵まれた地域においても、人口の増加が認められないことがある。条件に恵まれすぎてもダメなのかも知れない。それは、そこに住む人間に、生きている意味や理由が見い出されないからではないだろうか。 人間は、自分たちが信じるもの、志向するところに従っているのである。だから、それに反したり逸脱するような生き方を好まないし、出来ないのである。 この「信じるもの」とは、観念的なものかも知れないし、または、単に感覚的なものでもあり得る。何も余計な苦労までして長生きしたり、見栄を張ってまで生きたいとは思わないのである。 それは、人間が信じるもの、求めるものの違いからきている。あるいは、自由気ままな生活が、法律や世間の体裁などよりも、もっと大切な生き方として望まれているのかも知れない。 言い換えると、何かをのぞみ、目指し、指向しているということである。もちろんそうしたことは、当事者たるい本人自身には、意識も自覚もされていない。それは、本能的な無意識で感覚的なものである。 それは、そのようなものとして、幼いころから無意識の内にしつけられ、そしてまた、それが、習慣となっているのである。意識されることもなく、意識する必要もなく、また、意識してもならない、そうした当たり前の常識とされているのである。 |