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それは、意識されることのない偶然の積み重ねであって、そうしたことが時間の流れといったものを作り出しているのである。しかしまた、このような偶然といったものが、閉じた現実という世界の中で進行しているのであって、そうである以上、それは必然であると言わざるを得ないのである。 すなわち、あらかじめ条件づけられ、制約され、方向づけられた、そうした偶然だということである。そうである以上、それはあらかじめ特定の出来る偶然なのであって、示唆され、導かれてもいて、暗示されているのである。宿命のようなものである。 それは、そのようにならざるを得ないのである。そしてこれが、それを動かしている条件や背景であって、そしてこれが、それを規制し導いているのである。 これは、そうした閉じた世界の中での出来事なのであって、そしてこれを、その範囲の外の世界から見ると、「必然である」と見えてくるのである。そのように見えてもくるし、また、そのようにしか見えないのである。それは本人にして見れば、気まぐれで自分勝手な主観に過ぎないのであるが、これを外の第三者から見ると、客観的な、そのようにしか成れない必然の出来事のように見えてくるのである。 |