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2、常識。


従ってまた、このような制約され条件づけられた世界の中での思考や感じ方、生き方、そしてそうしたことの存在といったものは、主観とならざるを得ないのである。あるいは少なくとも、これをそとから見ると、主観であると言わざるを得ないのである。

それはたしかに偏った感覚である。偏見であり、錯覚であり、勘違いであり、そしてより積極的な、悪意あるねつ造なのである。なぜなら、これこそが自分と自分たちの立場であり、自分たちが、それに拠って暮らしているところの居場所だからである。

そして自分が、ここから離れて生きて行けない以上、それは自分にとって、どうあっても正義でなければならないのである。だからまた、だれもそれに逆らうことが出来ないのである。そしてこの、逆らうことができないということが、自分にとっての常識であり、正義となっているのである。

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