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そしてまた、この範囲において、つまり、そうした自分が生きて暮らしている、現実という囲いの中においては、その限りにおいて何をしてもよい、ということなのである。そしてこれが、自分と自分たちの立場であり、居場所なのである。 自分にとっての現実、そして自分たちの存在というのは、このような世界を言っているのであって、従ってまた、それを越えて出て行くということがないのである。そうした自分から離れることも、出て行くこともないのである。 そしてまた、そこから出て行ったところに、自分というのは存在し得ないのである。それどころか、そうした囲いの中から出て行くことが出来ないように、出来ているのであって、そのように仕組まれ、事前に設定され、始めからそのように設計されている、そうした世界を生きているのである。 |