index< 日誌 < c信じるもの< 19-76「自分たちW」p9- |
それが、自分たちにとっての「信じるもの」である以上、だれもがそうでなければならず、そうであるはずだし、また、そうであろうと努力するのである。だからまた、それに合わせて、自分たちが見るもの・聞くもの・触れるものといったものが連動していって、自分の都合の良いように集められ、それに適(かな)うものだけが選択され、求められるのである。 要するに、そのようにしか見えないということなのである。自分が出来ることの範囲を絞(しぼ)り、限って行って、集中するのである。そしてその中で自分を最適化してゆくのである。 要するに、自分というのが、そうしたシステムの中の一員、歯車の一つとして自分を作り出してゆくのである。考え方も感覚も、そして趣味の傾向すらもそうなのである。また、そうすることが自分の地位と立場というのを確かにしてくれるのである。 要するに、その中のことしか知らず、知り得ず、また、そのようにしか理解できない人間を作り出すのである。そしてこうした世界では、このような人間が、求められる人間のモデルとされているのである。 |