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だからまた、このような主義主張や思想に惑わされてはならないのである。それはどうにでもなるものであって、ただの「借り物」に過ぎないのである。頭の中が他人からの借り物だけで出来ていて、頭の中がカラッポで、自分の考えというのがないのだから、他人にすがって、それにそそのかされて生きてゆくしかないのである。そうやって人前で強く慣れるのである。 そしてだれもが、「借り物」にすがって、それに似せて自己を主張する、そうした中身がカラッポの世界なのである。似せてパクってなりすます、群れて媚びて迎合する、それだけが取り柄の、自分というのがどこにもない、そうした世界なのである。 そうやって、ピラミッド型のシステムを作り上げて、その中で自分の立ち位置というのを少しでも上へと上げて行こうとするのである。そうした意味では、かつての共産主義も、今日の「新自由主義者」も同じなのではないだろうか。 そしてまた、ここでも「自己意識」、自分に対する自分の意識といったものが問題になっている。すべては、このような自己意識の欠如がもたらした結果なのである。 |
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