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2、未知。


何もないところから、何も出て来ないのである。可能性もまた同じであって、何かそれの素になるものが無ければならないのである。たとえそれが、未知の得体の知れない、不可解なものであってもそうなのである。

また、そうした未知のものであるということが、いままで誰も予測できない異質なものを作り出して行くのである。少なくともそうした可能性がある、ということなのである。そうした自分の中の異質で未知の部分がないと、新たな現実にたいして適応できずに、「種」として終わりを迎えることになる。

だから、人間は常に異質なもの、未知なものに惹かれるのである。それは、つまり、自分自身の中のどこかに、かつて有ったものなのである。だからまた、それが感じられもするし、惹かれもするし、またそれを知ることも出来るのである。

「感じられる」というのは、自分の中のどこかで、何かを通して知ることができる、少なくとも、それを感じ取ることができるということである。そうした「何か」が自分のなかに無ければ、何も感じることがないのである。

そしてこの「何か」というのが潜在的な未知の可能性なのであり、自分のなかで忘れられ失われていった、過去のおぼろげなぼんやりした記憶の世界なのである。自分自身の身体内部の感じ方として保存されてきた無意識の世界なのである。肉体の生理の作用の特質として、自分自身の情緒の世界に封印されてきた、肉体自身の記憶の世界なのである。
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