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1、日常。


それは、閉じた球形の世界であって、その内側を毎日同じように、永遠にグルグルと歩き続けるのである。そうである限り、外の世界を知ることも、感じることも、見ることもないのである。そうした、自分をそとから見るということがないという世界である。。

そうである限り自分は、ただ自分の日常の世界をくり返しているだけなのであって、そうした習慣と馴(な)れに化した日常の世界について、だれも疑問をいだくことなどないのである。

また、そうした自分から離れて出て行くということがないのである。そうした発想も、必要も、現実もないのである。それは自分が預かり知らない世界なのである。

それはつまり、自分自身のことであり、自分の生き方、自分の感じ方のことであって、だれもそうした自分を否定するようなことはしないし、否定することができないのである。それは、自分で自分を否定することにつながるからである。

現実に生きている自分の存在というのを、自分で壊してしまうことになるからである。自分で、自分の居場所や立場というのを失ってしまうからである。だからまた、そうした普段の当たり前の、無意識の常識と化した「日常」という現実から、離れることが出来ないのである。

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