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それは、社会という現実を生きる者にとって許されないことなのである。それは、自分がいままで生きてきて身につけてきたものを、すべて捨てるということなのである。自分で自分を生きてゆけなくする、ということである。 だからそれは出来ないし、許されないことなのである。また、そこから離れたところに自分自身というは存在し得ないのである。自分が自分で無くなるということなのである。 しかし、そうであるにもかかわらず、それが意識される人間のタイプというのは、そうした自分というのを外の世界から見ているのである。現実を生きているにもかかわらず、現実の外から自分を見ているのである。自分で自分を見ているのである。 そして、そうした人間はどこか変わっているのである。異質なのである。肉体は現実の世界を生きているのに、精神は、それとは別の世界を生きている、そうしたどこか変わった人間なのである。 |