index< 日誌 < s設定 < 20-16「指向性」p16- |
ここで言う「身体の記憶」というのは、自分が意識している自分の経験というよりも、自分の身体のカタチや仕組みから来る、その存在の仕方、要するに、数千数万年に及ぶ自分の身体だけが覚えている、言わば「種」としての、あるいは民族や人種としての、肉体の記憶なのである。 文化や習俗、そして言葉の中に含まれる民族ないし「種」としての記憶のことなのである。慣れや習慣、そして自分たちが当然のこととしている常識のことである。そしてこうしたことが、自分にとっての現実の世界といったものを規定し、制約し、条件づけているのである。要するに、方向づけているのである。 |