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3、種。


ネアンデルタール人が何か劣っていたというのではない。自分自身が自分でなくなるというのを、拒んだということなのである。ネアンデルタール人の身体も文化も、価値観も、それ以外のものになり得ないように、もともとそのように出来ていたということなのである。

そして、地球という環境の変化が、そのようなネアンデルタール人の生き方というのを許さなかった、ということなのである。要するに、ネアンデルタール人はネアンデルタール人でありつづけたのである。

そうやって、自分で自分を尽くして全うして行ったのである。もしも、ネアンデルタール人がそうでなかったとしたら、今日、種としてのネアンデルタール人は、歴史上存在することはなかったであろうし、知られることも、記憶されることも、理解されることもなかったのである。ネアンデルタール人はネアンデルタール人であり続けたのである。

自分が自分であり続けるというのは、このことなのである。そうやって、自分で自分を尽くして、そうして歴史の上で現れては消えてゆくのである。

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