index< 日誌 < s設定 < 20-19「続、ネアンデルタール人。」p9- |
だからまた、そうでない者を見ると理解ができず、認めることもできず、許すことも出来ないのである。それを卑しい者として見下し、蔑み、そして自分の「踏み台」としてしか理解しようとしないのである。本人にして見れば、それ以外に理解のしようがないのである。 それ以外の理解の仕方というのが、頭の中にないのである。要するに、頭の中がカラッポなのである。自分の考え、自分の意志、自分の自律性や主体性というのを持たない人間なのである。この世に生まれた途端、そのようにシツケられ、教育されてきたのである。 そしてそれ以外の生き方というのを、知らず気づかず理解も出来ないのである。人間というのが、そのように出来ているのである。そしてまた、これが、この時代を生きる人々の最大多数であり、最大公約数であり、利害関係の共通性であり、人間関係のキズナ(絆)になっているのである。 |