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たとえば、新たな民族、あるいは国民の形成といったものがそうである。古代のギリシャやローマがそうであったように。様々雑多な寄せ集めの、忘れられた流浪の民であった者たちが、新たな環境と条件の下で、新たな民族へと統合されて行ったのである。 新たな環境が、新たなシステムを求めたのである。制約された現実の要求に従い、そしてそれが規制し条件づける、与えられた実際的で実現可能な生存の様式に従い、方向づけられて来たのである。まるでそれしかなかったかのようにである。 しかし、実はその通りであって、それしかあり得なかったのである。自分が自分として生きて行くためには、それ以外になかったのである。そして実は、これこそが現実の中で生きている自分自身のすがたなのである。 いま生きている自分というのは、そうした自分自身の歴史の結果なのである。そして実は、それこそが、自分自身のすがたカタチなのである。自分が誰で、何なのかというのは、このことなのである。 |
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