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3、意味。


近代以前の中世の社会がそうではなかっただろうか。もしもそうだとすれば、物的・経済的繁栄そのものは、その重要な条件に過ぎないのである。反対に経済的困窮そのものは、それ自体が人間が自らを自覚し、自らを高めて行く条件にもなり得るものであって、必ずしも困窮そのものが不幸とは言えないことがあるのである。

経済的に貧しくても、あるいは恵まれていても、それが必ずしも自分にとって決定的なものとはならず、むしろ、このような条件の中から、このような条件を基にして、そこから自分で自分を意識し、自分が自分であろうとしているのである。

困窮以前のところで人間は、自分たちの存在の拠りどころを求めているのである。これが「耐えられない」という意味なのである。自分が自分でなくなるという意味でそうなのである。

「耐えられない」というのは、このことなのである。自分が消えて喪失していて、そうして自分で自分を見失っている状態のことなのである。物が豊になっても、自分で自分を確かめられずにいるのである。そして、これこそが何よりも深刻で「耐えられない」ことなのである。

自分がいつの間にか、自分自身とは別の者になっていて、自分自身のタマシイといったものを喪失しているのである。アイデンティティーといったものが見つけられず、自分で自分が誰なのか分からず、まるで自分が、自分にとって他人のように思えてくるのである。そして、こうしたことが人間にとって「耐えられない」という意味なのである。

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