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それは、その民族にしか成し得ないものなのである。なぜなら、それが民族の個性だからである。そして、それが生まれ出てきた、現実の自然条件や環境と一体のものだからである。そして実は、そうしたことこそが現実なのである。 現実とは、観念や「思い込み」の世界ではないのである。それは、ありのままの事実であって、それが現実のすがたなのである。つまり、それはそこにしか無いものなのである。そこだけにしかないもの、これが現実の世界なのである。そしてまた、これが自分自身というものなのである。 それは、現実の空間的事実から見ると自然条件であり、そして反面、文化的・歴史的連続性から見ると必然であり、自律性であり、主体性なのである。つまり、自分が自分であるところの印(しるし)、つまり、自分の精神であり、タマシイなのである。 |
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