index< 日誌 < al境界 < 20-32「見え方」p9-


9、神聖不可侵。


それは、ここにしかなく、だれからも比較されることのない、そうした、この世に二つとない、そうした限りなく果てしない、永遠の、自由な精神の世界だからである。そして、そうしたことが、自分が自分であることの理由になっているのである。

それは、他人が入ってくることが許されない、また、許してもならない、そうした自分自身のプライバシーと自意識の世界なのである。また、それが自分と他人とを区別する、そうした、自分が自分であることの境界線になっているからである。

そして、この境界線が、自分で自分を意識させるとともに、自分で自分自身の精神のカタチと、その領域を作り出しているのである。精神の世界にも、自分自身のカタチとその神聖不可侵の領域があって、それをこの境界線が作り出しているのである。

このようにして私たち人間は、自分と他人とを区別しているのであって、そしてまた、区別することが出来るようになるのである。自分が自分であると意識すると共に、自覚することが出来るようになるのである。

戻る。                     履歴へ

index< 日誌 < al境界 < 20-32「見え方」p9-