index< 日誌 < h感じ方 < 20-33「肉体の記憶」p2-


2、一人歩き。


感覚自体が、実際の物体が持つ直接の感じとは別の感覚を呼び覚ましているのである。自分の中の記憶の世界を通して外の世界を見ているのである。だからそれは、やはり別のものであって、別の世界での出来事なのだ。現実とは別の世界を見ているのである。自分の観念の世界を見ているのである。

あるいは、何か別の世界へと導かれ、繋がり、広がってゆく。それへと誘われ、連想し、避けることも逃れることもできずに、自分がそれへと促されてゆくのである。気がついたときには、もはや手遅れで、自分ではもうどうにもならないのである。

そうした無意識の夢の世界。外の世界を無視した隔離された世界のなかで、感覚が感覚だけで自分勝手にさ迷い、そうして一人歩きをしているのである。

肉体だけが覚えている、意識されることのない、おぼろげな感覚だけの世界である。自分自身の肉体の生理や感覚の営みといったものが、肉体自身の記憶としてそれを覚えていたのである。

記憶というのが理性や意識をとは別の、それを無視して独立した感覚だけの世界だけで成り立っているのである。外の現実の世界を無視して、だれの・どこの・なんのために・どういう訳で、といった現実との接点を放棄したところで、感覚自体がそれだけで別個に何かを感じているのである。 コトバやイメージ以前の何かしらの衝動や本能として、それを感じ取っているのである。


戻る。                     履歴へ

index< 日誌 < h感じ方 < 20-33「肉体の記憶」p2-