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しかし、そうであるにしても、それは自分自身を超えたところにある、あるいは自分自身の中にあって、自分でもコントロールできない、肉体の直接的な感覚の世界なのであって、その意味でこれは、自分自身を超えたところにある、種としての自分自身のタマシイの世界を映し出しているのである。自分の肉体がそれを覚えていたのである。 そうした意味で、このような意識されることのない肉体の記憶といったものは、普遍的でもあり、そしてまた、自分自身のタマシイの世界を垣間見ているのであって、そしてそれを、のぞき込んでいるのである。自分が出てきたところ、いま居るところ、そしてこれから導かれようとしているところを見ているのである。 そうした現実の時間と空間、そして生と死をも無視した、あるいはそうしたこと自体が意味を持たない、そうした異質な世界を見ているのである。そして、このような異質な世界といったものは、私たちが生きているこの日常の現実の世界とは、異質な別の常識やシキタリが支配しているのかも知れないのである。 しかし、このような非現実の世界というのは、私たちにとっては非常にわかりづらく、とらえがたいものなのである。まるで、いつでもどこでも現れては消えて行く、幻の世界のようでもあって、どうにもならない世界、無視して背を向けるしかない世界なのである。 とはいっても、それはあくまでも自分につきまとってくるのである。そしてそれに支配され、拘束され続けているのである。そして、これが無意識の世界なのである。 |
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