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いまだ自分と他人との区別があいまいで、他人のものと自分のものとの区別もハッキリしない。だから他人に対しても、どんなことでもできると思えてくる。許されるし、してもよいのだと思えてくる。 自分に対する自意識はあっても、自己意識といったものがない。それが自意識だと思えても、自意識の側から自分自身が問われることがない。自意識といったものが、自分で自分を反省したり、問い直すといったことを、何ら意味のないものにしているのである。自分を意識する自己意識が無いというのは、このことなのである。 そうした反省を自覚する自意識といったものが欠けているのである。自己意識、つまり自分で自分を見つめる普遍的な心の働きといったものが失われている。見える現実世界の中から、 何かしらの自分にとって信じることができるもの、信仰といったものを見つけることが出来ずにいる。 自分に対して何の責任も存在せず、世界に存在するのは自分だけであり、そこには自分のタマシイもなく、自分の祖先や民族や、種の一員としての意識も自覚もない、、むしろそうしたことが必要のない、そしてまた、意味を持たない世界なのである。 |
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