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2、東アジア。



だからまた、中世インドのように「カースト」によって、すなわち、生まれの出身によって、社会の秩序を固定化する必要があったのであり、あるいは、東アジアの儒教のように、生まれながらの上下の関係でもって自意識に制限を設けて、現実の秩序に逆らえないように拘束し続ける必要があったのである。

それは、死ぬも生きるも同じことのくり返しであって、なにも変わらないということが、絶対的に正しいとされる世界である。そして、いまもそうである。

自意識というのが限りなく曖昧で、それは他人に対して向けられることはあっても、自分自身に対して向けられることがない。それは、周りのみんなに対する自分なのであって、自分に対する自分というのがない、そうした世界なのである。

戻る。                    続く。

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