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あまねくおおよその輪郭といったもの、細部はともかく、全体的なすがたがおおよそ分かって、はじめてそれが何かというのが客観的に知ることができるようになる。全体像の把握なしに、それが例外なのか、一般的で共通なものかの判別が出来ないからである。 「客観的」にとは、つまり、自分を外から見ているのである。そしてこの外からというのが客観的であるためには、自分の事についてのおおよそのことが分かっていなければならないのである。 もちろん、多少の例外はあるとしても、それが例外だとわかるような、そうした全体的なことが自分のなかで知られていなければならないのである。そうして始めてそれが、客観的であると言えるようになるのである。 |
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