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しかし先ほど述べたように、それは、自分が生きている現実の世界を反映しているのに過ぎないのである。自分のこの現実を離れたところに思考も意識も成り立たないのである。だからまたそれは、自分が生きている限られた閉じた世界の中での思考に過ぎず、そうした意味では限られた客観性、もしくは主観的な思い込みを含んでいる。 要は何を言いたいのかというと、たとえば今日、それが普遍的であると信じられている自由や人権という概念、あるいは同じことであるが、そうしたカテゴリー自体も、それを見ている私たちの現在という現実から、それを見ているということなのである。 つまり、現在という基準でそれを見ていて、そしてこれが私たちの思考の出発点になっているのである。そうである以上それは主観的であって、一面的でもあって、偏ってもいて、要するに現在を生きる自分たちの基準と理由でもって、それを見ているのだ、ということなのである。また、そのようにしか見えないし、見る必要もないのだ、ということなのである。 |