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またこれは、人権や自由といった普遍的概念にしても、それは私たち東洋人からすれば、私たち東洋人の世界を通して見ているのであって、東洋人が生きている現実の土台と基準からでしか、それは見えず、気づかず、理解のしようのないものなのである。 そうである以上、それは西洋人のそれとは、どこか本質的に違うものだと言わざるを得ないのである。現実が違い、そしてその上で成り立っている常識や基準といったものが異質である以上、それは別のものであると言わざるを得ないのである。 ただそれを形式的なカテゴリーの上だけで、同じもの、共通のものとして扱い、そうして理解しようとしているのである。そうする以外に理解のしようがないのである。そして、このようなカテゴリー化された観念の世界という意味で、それが普遍的な概念であると言えるのではないだろうか。 |