index< 日誌 < z自意識 < 20-62「理由」 |
これが要するに、信仰であり、シキタリであり、そして自分たちが信じもするし、そして信じなければならないものとされているのである。そしてこれが社会と、そしてまた自分自身にとっての正義なのであり、道徳ともなっているのである。従ってまた、それに反する者は排除される。 そしてまた、この「排除する」という行為自体が、自分の立場を強くしてくれるし、それを正義にしている自分の存在を正当化してくれるのである。つまり、これが自分の社会的地位の象徴であり、自己の存在理由?=アイデンティティー?になっているのである。 そうやって、自分をその社会の中の一員として認めてもらえるのである。だからまた、ここから離れたところに自分というのが存在し得ず、従ってまた、この中で生きて行く以外にないように出来ているのである。何もかもがあらかじめ、そのようにセッティングされているのである。 これは、人間にとって見れば、絶対的な強制力なのであって、それ以外の生き方が出来ないように出来ている、ということなのである。そしてまた、これが現実という世界なのである。 |