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3、内的同一性。

しかし、このような潜在的な可能性を持たない場合もある。なにもないというのではなくて、ただ、その部分だけが欠落している場合である。しかしまた、これがすなわち個性なのであって、種または個体の、固有の自律性・内的同一性とでもいったものなのである。自分が自分であることの根拠になっているのである。

カタチは、それが適?かな?う環境の下でしか現れて来ないのであって、そうでない場合、それはただ不適格な無用のものでしかないのである。自分のカタチが意味を持つのは、それを必要とするような、現実の条件があってこそなのである。

様々な無限の可能性を秘めているのではあるが、得手不得手、あるいは得意分野とでもいったものがあって、得意とする可能性が大きいだけ、それだけ得意でない分野もまた多いのである。



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