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それは背景といったものであって、出来事が同一の背景のなかで生まれてきて、そこから浮かび上がってきているのである。そのようにしか成れず、そうならざるを得ず、また、そうしなければならないのである。それは、そうでなければならないものなのである。 そうしてのみ自己というのが保存され、継続してきたのである。だからこそ、自分がそうであろうとするし、相手に対してもそれを求めるのである。また、それを求めることが出来るのである。また、求めなければならないのである。 そうしてのみ、自分というのを確かめることが出来るのである。従ってまた、そうでないものは排除するし、そうして自己というのが保存されてきたのである。そうして自己というのが、そしてまた、種というのが種としてあり続けるのである。 空間的にも時間的にもそうなのである。そしてまた、そうしてこそ自己というのが現実の存在たり得るのである。空間的な領域と時間的な歴史を持つ、現実の存在であることが出来たのである |