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しかしもちろん、そうでない場合もある。客観的な自分、問われている自分というのが、自分自身の中においてではなくて、周りの社会集団を通してなされ続ける場合がそうである。 自意識というのが、自分自身に対してではなく、自分のまわりの者を通して成り立っているという状態である。自分で自分を自覚するということがなくて、自分というのが周りの者と一体化しているという状態である。自分と他人との間の境界線が曖昧なのである。 個人が、個人としての自覚もなく、自律もしていないということである。自意識というのが、自分の中で自分を見つけることが出来ずに、「自分たち」という集団を通して自分を見ているのである。そしてまた、そうした集団の中でしか自分を見つけられずにいるのである。 それ以外の世界を知らず、それ以外の生き方が出来ずにいるのである。中世の村落共同体、東アジアの儒教世界、そして20世紀の共産主義諸国がそうであった。 |
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