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2、片側通行。


だからまた、精神の世界で自己が自律できず、自分と他人とが区別できずに、自分と他人とが一体化した共同体の中でしか自分を見つけられずにいるのである。自分が自分に気づくことがなく、また、そうしたことの必要がなく、求められることもない世界を生きているのである。そして、それが理想とされた世界である。中世の儒教世界がそうである。自分が自分に苦しむといったことがない世界である。

自分というのが自分の中で自律していないのである。従って他人への依存の中でしか自分を見い出せず、存在もし得ない世界なのである。そうして自分と他者との関係というのが、自分から相手、あるいは相手から自分への、一方向的なものになっている。そうした、支配するか、支配されるかの一方向的なものになっているのである。

そうした他人との関係というのが上下の関係なのである。だからまた、自分とは、そうした集団の中での一部分でしかないのである。「上か下か」の関係でしかないのである。そうして自分が一番下の底辺を拒絶しようとする限り、自分よりも下の者をどうしても作り出さねばならないのである。また、自分よりも下の者が居て始めて、自分が普通の者であることが許さるのである。


戻る。                         続く。

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