index< 日誌 < k思い込み < 20-75「主観D 分裂以前」 |
従って、人間の価値といったものは、表面的で形式的、かつ客観的で互換可能な学歴や資格、そして生まれによる出自だけとなる。いわゆる履歴書がそうである。 比較不可能な個性やオリジナリティといったものは無視される。すなわち、「人型ロボット」と「なりすまし」の世界となる。実際、20世紀の中ごろの全体主義や社会主義諸国がそうであった。また、今日の中国や北朝鮮がそうである。 形式と表面だけのコピペされた「ナリスマシ」だけで評価される。すなわち、客観的なのである。そして、その評価の基準は「上の者」、すなわち共産党や首領様が決定しているのである。しかしまた、その原理から言うと、今日の日本の系列システムや、コネと談合もまた同じなのである。 それは、自分の中に自己意識がない以上、そうならざるを得ないのである。そしてそれは、自分たちが求め望んだことなのである。自分で自分の精神の自由を捨てた結果なのである。 |
index< 日誌 < k思い込み < 20-75「主観D 分裂以前」