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私たち人間は、見て、聞いて、触れて、嗅いで、嘗めて、自分の外の世界を感じ取っている。しかしまた、それ以外にも、自分の中の身体内部についても、何かを感じ取っている。それは自分で直接見ることも、触れたり、見たりすることも出来ないものであるけれども、たしかに感じ取っている。 いやでも、知りたくも気づきたくなくても、たしかに感じられている。なにかどこかが「もぞかゆい」、痛い、飢えや渇きもそうであるし、平行感覚、神経や筋肉の緊張もそうである。あるいは、めまいやしびれなどもそうである。 さらにまた、それらがどこかで不具合や障害を起こして、錯視や幻覚を見たりするのもそうである。感覚が感覚の世界の中で一人妄想しているのである。それは、自分の身体の不具合と、自分の記憶がどこかで混同され、錯覚しているのである。自分で自分を見ていて、そうした自分の中で自分を感じているのである。そうした閉じた「ひきこもり」の世界なのである。 |
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