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8、団結。


だからまた、そうした自分にとっての世界というのは、どこまで行っても主観に過ぎず、また、そうであることによって、自己と他者の区別があるのであって、そしてまた、そうであることによって始めて、自分が自分であり続けけることが出来るのである。

そして、この区別が曖昧なところに、専制や全体主義がはびこってくるのである。つまり、自分の意志も考えも捨てたところ、ただたんに他人にすがって生きて行こうとするところに、人権やプライバシーの破壊がおこるのである。

自分自身を偽(いつわ)り、自分で自分を破壊し、自分の精神の何もかもを他人に譲り渡してしまうといった事が起こるのである。またそうすることによって、専制と全体主義といったものが成り立っているのである。

しかしそれは、自分が望んだことなのである。自分で自分を放棄している以上、それは自分自身の主体性を喪失しているのであって、そうである以上、それは一方的な強制でもって支配して行く以外にないのである。そうならざるを得ないのである。

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