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それは、人間というのが異なる民族や国民と言っても、それ以前に「種」として同一のものである以上、仕方のないことなのである。身体というのが同一の原理と必然性の下に生きていて、そうである以上、自分の中の自律したリズムといったものが、それに共鳴し、呼応し、アンサンブルのように響き合っているのである。 それは思考や意識以前の世界なのである。自分自身の身体がそれを記憶していて、そしてそれに反応しているのである。自分の意識や思考とは別のところで、それに反応しているのである。 要するに、それらすべてのことは偶然なのであって、それは偶然がひき起こした錯覚なのである。しかしまたそれが、偶然でないなら、自己と現実との区別が無くなってしまうし、主観と客観との区別も喪失してしまうのである。だからまたそれは、どうしても偶然でなければならないのである。 |