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7、主体。


なぜなら、それは自己のタマシイと自分自身の肉体の記憶が、それを導き、誘い、招いたことなのである。そうである以上、それはやはり正しいと言わざるを得ないのである。

このような主体としての自分自身を離れたところに、いかなる意味でも自分自身に対する予測そのものが成り立たないのである。しかもそれは、直接に自分で自分の中を見ている。自分自身の感覚と肉体内部の作用でもって、直接、自分自身の肉体の記憶が求め、導かれて行くところを見ているのである。

自分で、自分自身の情緒の世界を直接見ているのである。そしてこれが、主体としての自分自身なのであって、自分だけがそれを知り、理解し、行動し得るのである。そうした意味で、このような肉体自身の直感的な暗示や予測は、やはり、正しいことであると言わざるを得ないのである。そして実は、これこそが自己の同一性なのである。


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