index< 日誌 < K夫人 < 20-98「墓標」 |
しかしまた、彼女自身も何かしらの象徴に過ぎないのだ。ただぼくはそれを、彼女を通して見ていたのだ。永遠の夢や希望、祈りといったものがそうである。あるいはまた、自分自身が信じようとしたものがそうだったのである。 ぼくは、それを彼女をとおして実感し、意識し、目の当たりにし、そうして自分のものとして感じているのである。自分のなかで何かが目覚め始めている。そうした、自分のなかにある「何か」を透して彼女を感じ、そして世界を見ていたのである。 それはまさしく僕自身のすがたであり、僕そのものであり、そして僕は自分自身というのを発見したのである。はてしのない光のかなたへと続くまぶしさの中で、それをさえぎる何かの廃墟やその影のように、輪郭の途切れ途切れになった分厚い線だけが残っていて、それが光を背に、光をさえぎって、ぼくに対している。 そうだ。確かにこれは何かの墓標なのだ。かつては隆盛を極め、そして今は朽ち果てた何かの残骸なのだ。そうした、かつては生きていたという、いまは亡きその痕跡、カケラなのだ。原形を失い、それを想像することも出来ないくらいにバラバラになっていて、いまは、ただそのおぼろげな残骸だけが残っている。 |