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言葉になる前の、さらにまた、そうした感情になる前の、もっとより原初的な心の動き、その変化の移り変わりといったものが、ぼくにはより正直で根源的なもののように思われたからである。 人間は、自分でも知らず知らずのうちに、そしてまた、抑えることもコントロールも出来ないまま、それが感情として自分の身振りや仕草と態度に出てくる。抑えられない感情の起伏として、感情以前の自分でもどうにもならない情緒の世界で、自分というのが現れ出てくるのである。 あるいはまた、自分でも制御不可能な自分自身の生理の作用として、自分の意思や理性を無視して自分自身の身体を支配し、そうして自分の感情や心情といったものを動かしてくるのである。 そうしたことは、自分自身のことなのであるが、自分でも預かり知らない、自分でもどうにもならない、自分の中に住む他人のような自分という、未知の不可解で得体の知れない世界なのである。 |
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