――イメージをカタチに(・Image)――
日本列島において戦争は常に、 統治の代理権に関するものとして争われてきた。 統治そのもの、 統治の根源と、正当性そのものが争われたことが一度もない。 そうした発想もない。 感覚の中に、そのような痕跡すら感じられない。 それらが、このすべての現象の根底にある。 つまり、戦争というのが、 天皇制というルールの下で行なわれているのである。 ルールありの戦争。これがあるために、 戦乱が、殺戮それ自体に目的化する、 絶対戦争に堕することもなかったし、 絶望的無政府状態になることも稀だった。 要するに、 統治に、時間的・空間的空白が存在しないのだ。 こういう国が他のどの世界にあっただろうか。 その意味で日本列島はとっても変わっている。 戦争は、統治の権限そのものに触れることなく、 その下での代理権を巡る争いとして、 民間人を巻き込むことなく行なわれる。 日本列島における、 一揆・内乱・戦国などというのは、 すべて王朝(天皇)から委託される統治権限をめぐる争いであって、 統治そのものを否定する無政府でもなく、 また、凄惨な革命にまで突き進んだこともない。 つまり、ユーラシア大陸における戦争の概念とは全く異なるものなのである。 そして驚愕するのは、 こうした文化に基づく平和というのを、 だれも自覚していないという点にある。 有史以来、ず〜っとそうして来たので、 だれも平和というのを、自覚せずに暮らせる世界だ。 平和そのもの。 文化とシステムの根本的激変として争われた、 あの明治のブルジョワ革命(明治維新)においてさえも、 王政復古などという名目でやってのけたである。 市 ・Image。 |