――イメージをカタチに(・Image)――
index(索引)<concept(概念)<日誌<2011-1201-5 市
フェルメールの、 生きいきした、このセクシーな表情は、 いったいどこからくるのだろうか? みずみずしく清楚で、ありのまま。 今にも中から溢れてきて、 こぼれ落ちてしまいそうな、 そんな、溶けてしまいそうな、ふっくらした肌触り。 女の、とってもセクシーな表情。そして仕草。 朝の陽光が照らし出す情景の、 空気の色の鮮やかな描写。 人の誰もが持つ、このような、 まばゆいばかりに輝く瞬間というのは、 本来、非常にとらえにくいものである。 それは見せかけに、 他人から与えられたものではないだけに、 余計にそうと言える。 それは、自己の内部から発するものだったのである。 ![]() しかし実際には、 それらはいつでも普通に見られる、 日常のごく当たり前の風景なのである。 ただ誰も、それに気付かないのである。 気付かないまま通り過ぎて行って、そして忘れられる。 とっても大切な、 自己の証明みたいなものが失われてゆく。 しかし、フェルメールは、 そうした日常のありふれた情景の、この瞬間を、 永遠のものとして捉(トラ)えたのである。 そして、それを描いて見せる画家自身の、 純粋で透明な精神の世界が、 この絵を見る人々の心を捉えて離さないのである。 画面上の、躍動する生命の息吹きは、 そのまま、画家の精神性を描き出している。 目に見える絵画の世界が、それを見る者をして、 いつしか、精神の内面へと人々を誘う。 |