――イメージをカタチに(・Image)――
index(索引)<concept(概念)<ルネサンスへ<2012-0317-3 市
僕は、この世に生まれた途端、 すでに定められた、文化の型の中で生きて来た。 それは、根源的には、 生きて鼓動する心臓や、律動する呼吸のリズム。 肌の毛細血管の流れや、指先の末梢神経の感触。 そうした持って生まれ出た、自己の感覚の中に宿っている。 味覚や触覚、そして視覚でさえもそうである。 それはある意味で、すでに定形化されていたのである。 そして直接的には、 コミュニケーションや感情表現としての、身振りや仕草。 あるいは日常の暮らしの中の、 立ち居とか振る舞いの、行動の型に現れる。 僕は徹頭徹尾、そのように躾(しつけ)られて来たのである。 生活の仕方とか、思考のパターン、 身体の感覚器官の感じ方、といったものが、 郷土の地理的・歴史的条件によって、 あらかじめ制約され方向付けられて来たのである。 例えば、目で見る物の色や形から受ける「印象」。 着ている衣服の形や色の「好み」。 あるいは、食べる味覚の「傾向」もそうである。 それらは、この郷土の暮らしの必要から生まれ、 生成され、識別され、堆積されて来た感覚なのである。 そうやって僕は、 この世に生まれ出た自分というのを自覚し、 そしてまた、自分自身の生きた「肉体」を獲得する。 それは、自己の記憶や経験、 自己認識と自己了解の仕方といった、 自己の、 存在理由(アイデンティティー)そのものと言えないだろうか。 |