――イメージをカタチに(・Image)――
index(索引)<concept(概念)<ルネサンスへ<2013-0306-5
確かに、もともと無いものを、 見たり感じたりすることは異常である。 しかし、本当に何も無いのだろうか? 本当は何かあるのに、 ただ気付かないでいるだけではないのだろうか? ただ、自分に不利な事だから、 忘れたり、知らぬフリをしたり、 隠したりしているだけではないのだろうか。 このような未知の感覚。 自分の中にある、見知らぬ根源的なもの。 自分自身の記憶や理由といったもの。 自分が、自分自身であることの証明のようなもの。 自己の感覚の中にある、個性的で情緒的な第六感といったもの。 こうした本能的で、無意識の底にある根源的なものが、 どこかで見失われ、忘れられたのではないだろうか? それらが本来見えるものを、 見えなくしてしまっているのではないだろうか? 自分自身を偽っているのではないだろうか? 人間の感覚というものは、 感覚が感じ取る範囲のことしか、感じとれない。 また、その範囲内であっても、 異質であったり、見知らぬ未知ものについては、 正確に反映されない。 というより、反映の仕方を知らないのである。 だから、実際の現実が歪んで見える。 ささいなことが大きく見えたり、 大事な事を見落としてしまったり。 何か別のものと錯覚したり。 要するに、現実を歪めて見てしまうのである。 何かの誇大妄想や迷信がそうである。 差別や偏見もそうである。 それは、見えるものまで見えなくしてしまう。 その方が楽だし、生きてゆく上で便利だからである。 そうやって、自分自身の中にある根源的なものを、 見失い、捨ててきたのではないだろうか? |