――イメージをカタチに(・Image)――
index(索引)<concept(概念)<ルネサンスへ<2013-1006-1
ないものが、 見えたり感じたりするのはオカシィし、異常である。 しかし、たしかに感じるのである。 だれか、見知らぬ者の、 強烈な意志のようなものを感じるのである。 たしかに、引力の法則とか、光の反射とか、 そういう物理的な法則は当然なのだが、 問題は、そうした法則を動かすものとして、 だれかの強烈な意志のようなものを、 感じる、ということなのだ。 現実の、目に見える世界の中に、 潜在的な誰かの意志が宿っている、 そう思えてくるのである。 精神が病んでいるののだろうか? しかし本当は、何も感じないというのが、 オカシィのではないだろうか。 例えば、非常に強く念じていると、 見えないものが、見えたように思えて来る事がある。 この場合、脳ミソが自分の都合に合わせて、 勝手に妄想をつくりだして、それを信じるのである。 けっこうたくさんある。 集団ヒステリー、集団妄想とか。それに、国家的総発狂とか。 戦時中がそうだったし、ホロコースト、民族浄化、魔女狩り。 現在でも、すぐ近くの国には強制収容所があって、 それなくしては、国家システムが成り立たなくなっている。 ……際限が無い。というよりも、 これが現実世界の、ありのままの普通の状態である。 普通というのは、 それが常識であり、暗黙の社会的合意事項であり、 無言のしきたり、法律以前の道徳であって、 それを、わきまえない人間は、 人間としてかかわってはならない、という意味である。 そんなこと、いまさら隠して何になる。 私たちはみな、加害者であり共犯者なのだ。 みんながやってきた事だし、これからもそうするし、 これからも、そうであり続ける。 そうやって、世の中がうまく回っているのである。 そうした迷信と偽善の世界を生きている。 以上は集団妄想だが、個人的妄想もたくさんある。 自分の都合だけで、自分だけが助かりたい一心で、 平気でウソをいって、 そしてそのまま、自分に言い聞かせて信じ込み、 確信するのである。見てないものを見たといい、 聞いてないものを聞いたと、本人は強く確信する。 学校でも、会社でも、 そして、テレビもマスコミも、 それを強く奨励し、そうした方向へ誘導し続けている。 このような、妄想と迷信の世界を私たちは生きている。 |