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観念的映像、「印象派」。



例えば絵画において、
その筆致や感じ方がそれぞれ異なるのは、
その描き方というのが、
個人の経験と記憶に、多くを依存しているということである。

当然である。瞬間にしか見えない、動くものを、
キャンバスの上に描くとなると、
それの際立った特徴だけを、
強く印象に残った部分だけをとらえて、
その他のほとんどの部分は、画家の経験と勘に頼るしかない。
この勘というのは、画家の蓄積された記憶のことである。
つまり、この記憶が、画家の感じ方であり、描き方なのである。
個性というものなのである。

さらにまた、人間の目の生理的制約がある。
ヒカリの光学的映像が、
そのまま人間の目に映るのではないということである。
人間の目は、生理的・生物学的にできているのである。
それにまた、光学的映像自体が、屈折・回折・偏光等など、
実際の現実をそのまま反映していないのである。

例えば印象派絵画はどうだろう?
それは主に、目の中で再生された生理的映像、
残像とか補色(対色)を、特に際立たせたせている。
それは、誰にも見えているのであるが、
必要のないものだから、たいてい気にしないし、
それが見えているとは感じない。
残像とか補色というのは、
本人がそれと意識しないと、実際、見えないのである。
だから、印象派の絵画を初めて見たとき、人々は、
見えないものを、描いていると非難したのである。

だから印象派の絵画は、その情景というのが、
野外の、それも春か初夏の、草花で色が豊富で、風があって、
それが春の陽気と太陽の光で、ひらひらと揺らぎながら、
ざわめき移ろいでいる情景なのである。
そのような情景だからこそ、確かにカゲロウもありうるし、
補色も残像も発生しやすい。
そうして、この情景の中にいる人間の心理状態も、
夢見る感じで、幻の中にいるような、
心地よい気持ちになってくる。
それは、その絵画を見ている者にとっても同じである。

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