――イメージをカタチに(・Image)――
index(索引)<concept(概念)<ルネサンスへ<2013-1029-2
光に実体などない。 それは、物体ではなくて、 物体の「見え方」なのである。 物体と一体でありながら、物体から離れて出てきた、 実体のない、仮空の存在なのである。 だから、その「見え方」というのは、様々に変化する。 定まった形などなく、あちらこちらへとさ迷いだして、 うろつきまわる。そうした、現実を失った、 実体のない感覚だけの、夢の世界。 それは、何かのキッカケで、 精神が、肉体から離れてさ迷っている状態である。 このような、光のマブしさに、 とまどい、おどろいているのは、 まさしくそれが、自分自身の心の中を見ているからである。 まるで、自分というのが、夢の中を、 一人でさ迷い出ている状態なのである。 それは、何のさだめもケジメもない、 一人だけの世界なのである。 だから、この光というのが、何にでも見えてくる。 未知の魂(タマシィ)にも、 何かのはてしない、祈りのようにも。 あるいは、抑えられない自己の、 何かの衝動のようにも思えてくる。 このような、異質で現実離れした、けじめのない世界。 自分と他人を区別できず、自分自身をすら見失う。 私たちは、そうした内閉的で、孤独な感覚の世界を生きている。 そうして私は、光の中に、自分だけの夢の世界を見ている。 だから、永遠なのである。 精神は、時の流れに変わることなく存在し、 肉体が持つ、現実の制限もない。 世間のわずらわしさにも左右されず、 自己のわがままに惑わされることもない。 そうした、はてしなく永遠で、限りない存在。 自己の精神が求めて止まないもの。 それは、自己の存在を超えたところにある、 祈りのようなものなのである。 |