――イメージをカタチに(・Image)――
index(索引)<concept(概念)<ルネサンスへ<2013-1118-14
自己が意識されない状態とは? 自分というのが、 精神の中で対象化された、もう一人の自分ことなのか、 それとも、現実の世界に生きる自分ことなのか、 あるいはまた、現実の他人、 正真正銘の他人のことなのか、 そうした区別がない、ということである。 だから、自分が誰かわからず、識別もされず、 自己というのが、いまだ意識されない状態。 自己というのが、 その中でいまだ分裂していない状態である。 だから、自己意識というのはない。 それは、自己の精神の世界、 内面世界での関係であり、 このような、自己が意識されない状態にあっては、 生起するものごとの、その背後にある因果関係や 内的関連性といったものは、 意識されることもないし、把握もされない。 なぜなら、内的関連性そのものがないのである。 関連するためには、ものごとが対象として、 自分とは何か別のものとして、 明確に区別されなければならないが、 その区別そのものが、 曖昧(あいまい)でハッキリしないのである。 自己と他者の区別がないというのは、 このことなのである。 現実世界で生起する様々な出来事や、 その空間的、時間的広がりといったもの。 そうしたものごとの、現実世界での 内的な関連性といったものが、 意識されることがないのである。 だから、このような意識にとっての世界とは、 気まぐれと、偶然だけが支配する、 どうでもよいものとなる。 このような、現実の世界に対する、 内的関連性といったものが意識されず、 理解もされず、そしてまた、 論理的思考自体が成り立たない、 そうした精神、そうした意識のあり方、 そうした世界にあっては、時間というものは、 意味のない、不必要なものであって、 「時間」という概念自体が成り立たない。 同じことが「空間」についても言えるのであって、 なんら、ケジメといったものもなく、 何かとりとめのない、 自分自身に対する何の自覚もない、 いわば、夢の中の世界なのであって、 時間と空間の概念が存在しない世界なのである。 |